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映画『ナウ・アンド・ゼン』──関東大震災から現在まで、地続きの差別を考える

1923年9月1日に発生した関東大震災。映画『ナウ・アンド・ゼン』(8月29日公開)は、その直後に起きた朝鮮人虐殺を、過去の悲劇としてではなく、今現在にも連綿と続く差別の暴力に向き合うための起点として描く。
Photo © 2026 ML9

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1923年9月1日に発生した関東大震災。震災直後に「朝鮮人が井戸に毒物を入れた」「暴動を起こそうとしている」という根拠のないデマから始まった差別感情が引き起こしたのは、朝鮮人を狙った残虐なヘイトクライム、集団虐殺(ジェノサイド)だった。民衆の手によって多くの命が奪われ、内務省や警察を含む官憲もその暴力を容認し、自警団を煽るなどして拡大を手伝った事実が裏付けられている。虐殺現場の地図や当時を生き残った人びとの語る恐怖、傍観していた見物人の存在、そして何より長年にわたりそれを見過ごし、ときに加害の事実そのものを否定・隠蔽してきた“私たちが生きる社会”の歴史。事件から100年以上が経過した今もなお、日本政府による公式な全貌解明や調査はなされず、生活と命を奪われた人びとが自ら声を上げることは二度と叶わない。

しかし、この100年以上前に起きた“外国人”へのジェノサイドは、決して過去の悲劇ではないことを映画『ナウ・アンド・ゼン』は強く示す。現在の日本社会が直面する問題と強固に、そして確実に結びついているのだ。昨今の選挙を含む政治の場では(日本に限らず)外国人政策が争点となることも多い。また、露骨な排外主義的な主張を掲げる政治勢力が存在感を増してもいる。不安定な社会情勢や経済の停滞が続くなか、2025年以降その傾向はさらに色濃くなってきたように思う。

Photo © 2026 ML9

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入管庁による「不法滞在者ゼロプラン」のもとで難民申請者に対する送還が強化されている現状に対し、日本弁護士連合会は「国際人権法に反し当事者を危険に晒す」ものとして強い懸念を示し、「すべての人の尊厳と権利を守る共生社会の実現」を訴えている。しかし2026年には、送還停止効の一部解除(※原則として一律に送還を停止していた難民認定手続中のルールを改め、3回目以降の難民認定申請者などについて、原則として送還の停止を解除する仕組み)などを進める同プランの“強化推進パッケージ”が打ち出された。そこにはソーシャルメディアやインターネット上の情報を監視する「サイバーパトロール」の実施も盛り込まれるなど、当事者の人権やプライバシーを著しく軽視する姿勢が顕著に現れている。

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日本の政権や社会に潜む「外国人はいつでも追放可能な存在である」という意識を本作は炙り出す。そして、当事者たちは日本社会において選挙権を持たないうえ、社会の目が届かない場所である“収容所”という空間へ不可視化されていく。2021年、ウィシュマ・サンダマリさんが体調不良を訴えながら死亡した事件にも触れつつ、それが唯一のケースでは決してないことを解らせる。

1950年に開設され、在日朝鮮人を朝鮮半島へ送り返す拠点として機能してきた大村入国者収容所(現在の大村入国管理センター)から続く制度の骨格は、かつての植民地支配の構造と地続きに生み出されたものだ。そして本作でも批判的に扱われる改正入管法は、そうした国家による選別と排除の姿勢をいっそう強固なものにする。

右から牧師の宮島牧人さん、宮島さんが保証人となった難民申請者のサファリさん、アイザックさん 、ミルトンさん、宮島さんの娘でアクティビストの宮島ヨハナさん。Photo © 2026 ML9

右から牧師の宮島牧人さん、宮島さんが保証人となった難民申請者のサファリさん、アイザックさん 、ミルトンさん、宮島さんの娘でアクティビストの宮島ヨハナさん。Photo: © 2026 ML9

本作に登場し、牧師として200人を超える仮放免者の保証人となってきた宮島牧人は、聖書の言葉を引いて社会の不条理にさらされる人���とを「小さくされている人たち」と表現。2010年に始まった高校授業料無償化制度から朝鮮学校のみが意図的に除外され続けている事実や、自治体による補助金削減に象徴されるように、制度的な差別と「Hopeless life(希望のない生活)」を強いる構造は、今この瞬間も私たちの目の前で機能しているのだ。

そうした不条理に対し、当事者支援という形で抵抗を示す学生団体「IRIS」、歴史を記憶し追悼碑を建てた「ほうせんかの家」、「百年(ペンニョン)」などが、本作では落ち着いた視線で眼差される。そしてそれらの団体・組織に関わる人々の視座は、日本国内の問題だけにとどまらない。映画の中では、イスラエルによってパレスチナで今なお続く破壊やジェノサイドとの重なりも着実に浮かび上がってくる。さらには、その圧倒的な暴力に日本が政治的・経済的に加担しているという現状も。なぜ、人命の尊厳に対して国として毅然と歯止めをかけられないのか。それもまた、日本社会の根底に「植民地主義的な考え」や「人権を差別化する意識」が根強く残っており、他者の尊厳が踏みにじられる構造に対してあまりにも鈍感になってしまっているからではないだろうか──本作は観客に対してそう、問いかける。

Photo © 2026 ML9

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「デマのポスターがここにあったことは事実」「自分が生きている限り真実を伝えたい」映画内で示される言葉や追悼碑を守り続ける人びとの営みは、私たちに不可視化されてきた事実を突きつける。過去の歴史を注視せず、現在の入管問題やパレスチナで起きている虐殺、そして身近な構造的差別を自分とは遠い出来事として見過ごすとき、私たちは100年前の虐殺をただ眺めていた“見物人”と等しく同じ過ちを繰り返すことになりかねない。その危機感が募っていく。

過去(ゼン)と現在(ナウ)は、分断された別々の時代では決してない。それは国境を越え、世界全体で常に地続きで結びついてきた出来事の積み重ねだ。「百年前の死は、今日も繰り返されている」という言葉が映画を観た後にも強烈に残る。歴史の闇に意図的に追いやられた事実、「小さくされている人たち」の声。長い年月をかけて内在化してしまった自らの植民地意識や排外性に自覚的になり、現状の法制度や不当な構造をまずは問題視すること。今を生きる私たちが日本および世界で続く植民地主義と向き合うことが、“地続きの連鎖”を断ち切る道だとしたい。

映画『ナウ・アンド・ゼン』は8月29日、ユーロスペースほか全国順次公開。